先日、ホテル内のレストランで夫婦で食事をしていた時のこと、締めの一品が色鮮やかな盛り付けで運ばれてきた。
にっこり顔の私たちを見て、給仕の女性が「お写真(撮らなくて)、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
しかしながら、それは食事をしているフルムーンカップルを撮りましょうかというレコメンドではなく、インスタにあげないのかというお誘いであった。
少し斜めに傾けられた土鍋は、まだ彼女の胸のまえに掲げられていたからだ。
いとわろし(たいそう興醒めなことよのう)
私自身は、食事をSNSにあげる趣味はないのだが、お仲間にはたくさんいます。
みんなマメだなあと感心しています。
港区女子がアップしていれば、すわ承認欲求か?と眉を顰めるのですが、私の友人たちがやるからには、そこに何らかの意味合いがあるのではと考察します。
もっと深い理由が…
あの店行った、この店行った、などという承認欲求や自己顕示欲、はたまたポケモンカードを集めるが如くの達成感であろうはずがないのです。
本人らに聞けよって思うかもしれませんが、「久しぶり〜どうしてる?なんでインスタ撮るん」とか失礼にも程があります。親しき仲にも礼儀あり。
あそこ行った、あれ食べたであれば、絵葉書や雑誌の切り抜きで良いわけで、料理の写真をアーガイブすることの意義とは思えない。どこで誰と食べ、どう感じたかが重要な筈であり、彼らは皆それに気づいている。
脳科学的には、美味しい、幸せ、キレイといった感覚も神経伝達物質で脳に信号が送られることで得られる現象だという。
そうか、アーガイブした写真を見返すことによって、あの時のあの感覚が、矮小化されたにせよ再現されるという訳か。
それは、店の雰囲気や食事相手との空気感、旅先で感じた街の気配をも試食サイズで呼び覚ましてくれるかもしれない。それはメモ書きよりはるかに有用であろう。
「年甲斐もなく、こんなんやってんねん…」と前置きしながら写真を撮る友人達が、例に漏れず几帳面な人たちであったことを思い浮かべた。
(あの人たちは記憶の整理もできていたのか…)
ようは徒然なるままの日記みたいなものなのか?
instant gramとは「瞬時の電報」という意味らしい。
付箋に書かれたメモ書きの写真版か…
そう思うと、いとをかし(たいそう趣のあることよのう)
だったら、レストランの彼女の言うがまま、写真撮ってもよかったかな。
ま、それでも面倒くさがりなので、アップはしないと思うけど。
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